お葬儀の祭壇の歴史

基礎知識

2021.08.22 お葬儀の祭壇の歴史

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宇都宮市を中心に直葬・火葬式・一日葬・家族葬など小規模なお葬式をお手伝いさせて頂いております、あんしん葬儀社です。
お葬儀に参列した際に、皆様がよく見かける祭壇について「どうして御輿(みこし)のような形をしているのだろう?」とお考えになったことはありませんか?
葬儀の形式が時代と共に変化していくように、祭壇の形も時を経て次第に変化を遂げてきました。今回は、そのお葬儀の祭壇についてご説明させていただきたいと思います。

日本の葬儀は、かつて霊柩車の無かった時代は土葬が主流で、白木の輿(こし)に棺を入れて、担いで墓地まで運んで埋葬する「野辺送り」が一般的でした。戦後、高度経済成長期を迎える頃になると土葬の文化が衰退し、火葬率が100%近くになったことに加えて都市化が進んだことで、自宅や葬儀場に白木祭壇を祀る葬儀の形式が広がりました。

もともと野辺送りの葬列で棺を入れていた「輿」が役割を変えて壇の上部に置かれたことから、現代の祭壇の形へ変化を遂げていきました。昭和初期までは、壇を組み立てて、その上に白布などを覆った、ごくシンプルな形式の祭壇でした。

やがて大都市における葬列が無くなって、自宅での儀礼と、葬場での儀礼が一体化したことにより「葬儀・告別式」が誕生しました。
それにより、立派な祭壇を飾ることが故人を弔うことだという考え方が生まれ、祭壇の大型化が図られるようになったそうです。
祭壇メーカーが様々な祭壇を開発し、商品化したことも祭壇隆盛の時代を迎えた一因だそうです。

昭和初期に恐慌が起きるなど、経済的な環境が悪化したこともあり、種類も少なかった祭壇文化ですが、戦後復興となった1953年以降は、本格的になりました。また、今では当たり前となった祭壇の上に遺影写真を飾るようになったのも、昭和初期と言われています。
高度経済成長期に合わせるように、蛍光灯使用祭壇や各種飾輿(棺前飾り)が開発され、使用されるようになり、1960年以降は「葬儀=祭壇」とも言うべき図式が成立するまでになりました。

現代では、葬儀形式の多様化に合わせた様々な種類の祭壇が増えています。
日本の葬儀の代表的な白木祭壇の他、祭壇を花で囲んだ花祭壇、キャンドル祭壇、また、故人様の仕事や趣味などをイメージしてデザインしたオリジナル祭壇も増えています。

いかがでしたでしょうか。
今回は、お葬儀の祭壇の歴史についてご説明させていただきました。
時代の流れとともに、お葬儀の祭壇も様変わりしていることが分かりましたね。

あんしん葬儀社は、お葬式や仏事や法要についての疑問にお答えする相談サロンを完備しています。普段疑問に思っていることや、ご不安に感じていることを専門相談員がお話をお伺いしたうえで、その「不安」を「あんしん」に変えるお手伝いをさせて頂いております。
相談サロンは午前9時から午後6時まで営業しておりますが、営業時間外でもお電話をいただければ対応することが可能です。是非お気軽にご相談・お問い合わせください。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

荒井 貴大

代表取締役
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